教学根拠をひもとく

本願に救い摂られた喜び

(『世界の光・親鸞聖人』第1部)

【ナレーター】
「かくて信心決定なされた親鸞聖人は、弘長二年、九十歳でお亡くなりになるまで、全人類の救われるただ一本の道、弥陀の本願を、
『如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 骨を砕きても謝すべし』
と、叫び続けられるのであった」

【根拠】
「如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 骨を砕きても謝すべし」
        (恩徳讃)
「ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず」
       (教行信証)

 

『世界の光・親鸞聖人』第1部、ラストシーンのナレーションである。
 建仁元年、二十九歳の御時、阿弥陀如来に救い摂られた親鸞聖人は、どんな念いを、恩徳讃に込められたのだろうか。
「大慈大悲の阿弥陀如来の洪恩は、身を粉にしても報じ切れぬ 。善知識(仏教の先生)の恩徳も、骨を砕いても相済まぬ」
 恩徳讃は、聖人が、阿弥陀如来の本願に救い摂られた喜びを詠われたものである。
 身命を投げ出しても報い切れない大恩を、親鸞聖人は、阿弥陀如来と善知識に感じておられたことが分かる。
 誰しもが、有情(命あるもの)非情(命のないもの)の、おかげをこうむって生かされている。それらに感謝しなければならぬ のは当然である。 しかし、それらのものに命捨てても、とまで誰が思うだろうか。親鸞聖人は、ところが恩徳讃の心が絶えないと言われるのだ。
 未来永劫浮かぶ瀬のない一大事の後生を解決していただき、いつ死んでも光明輝く報土往生の身にさせられたら、身命を投げ出しても、報謝せずにおれなくなるのだ。
 二十年間、比叡でのご修行で聖人が知らされたのは、罪悪深重、煩悩熾盛の姿であった。
 それが法然上人のご指南により、
「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」
と出離の縁が断ち切られたと同時に、
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなり」
と、無条件の弥陀如来の救済に値われた驚き、喜びは、心も言葉も絶え果 てた。
 聖人決死の活動は、かくして開始されたのである。
 世間の多くは、他力信仰は、素直なおとなしい人にするかのように思っている。よく言えば、お人好し。悪く言えば、無気力で退嬰的なアキラメ主義者を連想する。
 まったくの、それは他力信についての無知である。
「念仏者は無碍の一道なり」と聖人が道破されるように、念仏者には、正義に徹底し、邪悪と闘う、たくましい人生が開けるのだ。
 聖人三十一歳の肉食妻帯は、身命を賭しての真実開顕だった。破戒、堕落、仏法の悪魔だと、八方の非難を一身に受ける破天荒の行動である。三百八十余人の法友との三大諍論も、弥陀の本願徹底に避けて通 れぬ出来事だったのだ。
 いくら仏法をネジ曲げたとはいえ、とりわけ八十四歳での、長子・善鸞の義別 は、いかに聖人の破邪が厳しく、激しかったかの証明である。
 これらの言動のすべては、聖人一字一涙の恩徳讃の御心から出たものである。
「ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず」(教行信証)
 あまりにも広大な仏恩を知らされ、九牛の一毛も報い切れぬ身に泣かれる聖人。
 身は流罪に遭いながらも、「是れなお師教の恩致なり」と微笑された聖人。
 恩徳讃は決して、形容詞ではなかったのです。

[home]