アニメに学ぶ「親鸞聖人」

親鸞聖人は、なぜ公然と肉食妻帯されたのか

【Q】
 八百年前、「肉食妻帯」は、仏教界のタブーでした。その禁を公然と破られた親鸞聖人に、四方八方から非難攻撃が巻き起こったのです。なぜ聖人は、非難覚悟で肉食妻帯されたのでしょうか。

【A】
 親鸞聖人が、破天荒の肉食妻帯をされたのは、三十一歳の御時です。当時の常識として、僧侶の結婚は考えられない大事件でした。伝統仏教が厳しい戒律を設けていたからです。世間からは、囂々たる非難がわき起こりました。
 アニメ『世界の光・親鸞聖人』の中で、法然上人は、親鸞聖人に諭されています。
法然上人「よいか親鸞。弥陀の本願には、出家も在家も差別はないが、天台や真言などの、聖道自力の仏教では、肉食妻帯は、固く、禁じられているのは、承知の通 りじゃ。彼らや、そして世間から、どんな非難攻撃の嵐が起きるか、分からぬ ぞ」
親鸞聖人「はい。それは覚悟しております。すべての人が、ありのままの姿で救われるのが、真実の仏法であることを分かっていただくご縁になれば、親鸞、決して厭いはいたしません」
法然上人「うむ。その覚悟、忘れるでないぞ」
 親鸞聖人の住居・岡崎の草庵から、法然上人のおられる吉水までの道中、聖人とご内室の玉 日姫が乗られた牛車には、悪口雑言の数々が浴びせられました。
「おい、堕落坊主」
「気でも狂ったか、色坊主」
「怖くて顔が見せられんのか。腐れ坊主」
 多くの野次馬が集まり、はやしたてます。棒切れで牛車を打ち、御簾を引きちぎる者、石を投げる者すらいたのです。僧兵たちは、薙刀をかざして立ちはだかりました。
「仏敵親鸞。出てこい」
「み仏に代わって、オレが成敗してくれるわ」
 非難の嵐の中、親鸞聖人は泰然と、突き進まれたのです。

 肉食妻帯を戒めている伝統仏教とは、聖道門の仏教です。親鸞聖人は、「聖道仏教」はいまだ方便の教えであるから、これら一切を捨て、「浄土仏教」に入れと教えられました。 ここで、釈尊一代の教えを大別 すると、聖道門の仏教と浄土門の仏教になることを知っていなければなりません。 これを、インドの龍樹菩薩は、難行道、易行道と教え、中国の高僧、曇鸞大師は自力仏教、他力仏教と示し、道綽禅師は聖道仏教、浄土仏教という呼称で分けられました。
 では聖道自力難行道の仏教とはいかなるものでしょうか。
 聖道仏教とは、華厳宗、天台宗、真言宗、禅宗、法相宗、律宗などをさします。これらに共通 するのは、「私たちの本性は清らかな仏性である。それが煩悩のさびによって曇っているから、修行によって煩悩のさびをおとし、仏性を磨き出すことに全力をあげよ」というものです。方法は異なっても、いずれの宗派も根底を叩けばこれしかありません。
 しかしそのためには、長期間、厳しい修行に打ち込まなければならないのです。 親鸞聖人は九歳から二十年間、比叡山で法華経の仏道修行に励まれ、それによって欲や怒りや愚痴の煩悩をなくし、さとりを得ようとされました。
 しかし、いかに身を慎み、言葉に気をつけても、心だけはどうしようもなかったのです。抑えようとすればするほど吹き上がる煩悩。見ざる、聞かざる、言わざるまではできても、思わざるだけはどうしようもありませんでした。

「定水を凝らすと雖も識浪頻りに動き、心月を観ずと雖も妄雲猶覆う、而るに一息追がざれば千載に長く往く」(親鸞聖人)
「ああ、あの湖水のように、私の心はなぜ静まらないのか。静めようとすればするほど、散り乱れる。どうして、あの月のように、さとりの月が、拝めないのか。次々と、煩悩のムラ雲で、さとりの月を隠してしまう。このままでは地獄だ。この一大事、どうしたら、解決できるのか……」

 後生の一大事に驚かれた聖人は、法華経の教えに絶望し、泣く泣く下山されました。そして二十九歳の御時、法然上人と巡り会い、阿弥陀仏の本願によって摂取されたのです。
 最高無上の仏、阿弥陀仏は、
   「どんな人をも 
      必ず助ける 
       絶対の幸福に」

という本願を建てておられます。本願とは、誓願とも言い、お約束のことです。阿弥陀仏は、男も女も僧侶も在家の人も差別 なく、死もさわりとならぬ無碍の一道に救い摂ってみせると誓われているのです。
 アニメの中で聖人は、玉日姫に仰有いました。
「よいか、玉日。今こそ、そなたに言っておこう。僧侶も、在家の人も、男も、女も、ありのままで、等しく救いたまうのが、阿弥陀如来の本願。その真実の仏法を、今こそ、明らかにせねばならんのだ。阿弥陀如来の、広大なご恩徳を思えば、どんな非難も、物の数ではない」
 肉を食べたり、結婚する者が救われないなら、一般の民衆は、だれ一人助かりません。仏さまの慈悲は、山で修行する、ごく一部の者だけにかけられているのではないのです。 親鸞聖人の肉食妻帯の断行は、決して破戒や堕落ではありませんでした。全人類を、ありのままの姿で助けると誓われた、弥陀の本願を、開顕されるためであったのです。

[home]