浄土真宗の祖師・親鸞聖人

九歳で出家された親鸞聖人

 浄土真宗の祖師・親鸞聖人が、「人生の目的」の探究に、命懸けに進まれたのは、ご両親との死別がきっかけだった。
 四歳で父君、八歳で母君を亡くされた聖人は、
「次は、自分が死んで行かねばならないと思うと不安なのです。人間死んだらどうなるのか。何としても、ここ一つ、明らかになりたい」
と、わずか九歳で出家された。
 後生の一大事の解決こそが、人生の目的と見極められ、青春のすべてをかけて聖道仏教・比叡山天台宗の難行に打ち込まれたのである。
 それから十年、求道にゆきづまられた聖人は、後生の一大事の解決を祈って、大阪の聖徳太子廟に参籠された。三日三晩の不眠不休の祈願で、ついに失神された聖人に聖徳太子が現れ、
「汝の命は、あと十年」
と告げられる。
 驚かれた聖人は、比叡山にもどられ、一層激しい無常にせきたてられ、難行苦行に打ち込まれるのであった。
 二十六歳、比叡山のふもとでのこと。帰山の聖人を、麗しい女性が呼びとめた。
「私をどうか、お山にお連れください」
「それは無理です。女人禁制の山です」
「お山の仏教は、なぜ女を見捨てられるのでしょうか。それでは平等の仏の慈悲にかなわぬのではありませんか」
 鋭い問いを投げかけ、その女性は姿を消した。
 以後、その女性への恋情に聖人は悩み苦しまれるのである。
 色と欲から生まれて、色と欲から離れきれぬ悪性に愕然となされる聖人であった。
 二十九歳、求道に精も根も尽き果てられた聖人は、ついに下山を決意。
 京都六角堂の救世観音に、百日の祈願をなされたが、光がみえず、夢遊病者のように、京の町をさまよわれるのであった。
 そんなある日、四条大橋で出会った、かつての法友・聖覚法印に導かれ、法然上人の吉水を訪ねられることになったのである。
 阿弥陀仏の本願他力を説かれる法然上人のご教導により、親鸞聖人の熱烈な聞法が始まった。
 だが、聞いても聞いても安心できず、悲泣悶絶の聖人に、
「一切の自力の心を捨てよ。すべての計らいをすてよ。捨てようとする心もすてよ」
と、法然上人は説き切られるのであった。
「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」
「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なり」
 聖人は、不可称不可説不可思議の弥陀の救いに踊りあがられた。
「ああーっ、不思議なるかな、不思議なるかな。本願まことだった、まことだった」 
 かくて、二十九歳、後生の一大事を解決し、人生の目的を達成されたのである。

『教行信証』にあふれる喜び

 親鸞聖人の主著は『教行信証』である。
 その『教巻』冒頭に、
「夫れ真実の教を顕さば、則ち『大無量寿経』是れなり」と明示されている。
 人生の目的は、釈尊の『大無量寿経』にこそ説かれているとの意味だ。この経典に説かれている阿弥陀仏の本願に救い摂られた「信心決定」の体験こそ、人生の目的なのである。
 『教行信証』には、人生の目的を達成された親鸞聖人の喜びがあふれている。
 まず序文に、
「爰に愚禿釈の親鸞、慶ばしき哉や、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり」 (総序)
と記されている。大意は以下の通りだ。
「親鸞はいま喜びの心に満ちている。インド・中国・日本の高僧方の聖典に、は極めて遇い難いのにすでに遇うことを得、人生の目的は聞き難いのにすでに聞き、達成することを得た」
 また、
「是を以て、極悪深重の衆生、大慶喜心を得、諸の聖尊の重愛を獲るなり」(信巻)
ともある。
「人生の目的を成就した時にこそ、極悪深重の親鸞が、大きな慶びの心を得、あらゆる尊い方々から重愛を獲るようになった」
との、あふれる喜びの表白だ。
 後序には、
「慶喜弥至り、至孝弥重し」
とあり、常に歓喜が絶えない。
 親鸞聖人は、お亡くなりになる九十歳まで、すべての人の救われる唯一の仏教、阿弥陀仏の本願を伝え続けられるのであった。

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